同志社女子大学で声楽を学び、NHK京都放送局にアナウンサーとして就職。
その後、幼い頃から抱き続けた役者への夢を叶え、
国内外で活躍するこばやしあきこさん。
着物と所作という「京の美」を味方に、京都から世界へ広がる歩みを伺いました。
INDEX
プロフィール

俳優
学芸学部 音楽学科
演奏専攻 声楽コース 2000年卒
こばやし あきこ さん
京都府出身。卒業後、NHK京都放送局アナウンス部に入局。在局中より演技を学び、退局後は俳優として活躍。京言葉や着物の所作を活かした役柄に定評がある。着付け動画配信など、京都文化の発信にも力を注ぎ、「京都観光おもてなし大使」も務めた。エミー賞受賞のドラマ『SHOGUN 将軍』ではヒロインの侍女・勢津役で出演し、女性の所作指導も担当。

インタビュアー
生活科学部 人間生活学科 3年
宮﨑 優里 (みやざき ゆり)さん
撮影・取材場所/大覚寺(京都府京都市)
幼い日に抱いた役者になる夢と
同志社女子大学への進学。

宮﨑:ご出演されている『SHOGUN 将軍』、拝見しました。 ヒロインを引き立てながら、表情や所作を通して内面の緊張感や感情がじわりと伝わってくる演技がとても印象的でした。 そもそも、いつ頃から俳優をめざされていたのですか?
こばやし:祖父の家が南北朝時代から続く武家で、付近を治める奉行所だった時代もあったんです。そのため、よく時代劇のロケ地になることがあり、学校から帰ると門の前に駕籠(かご)があったり、母屋が南町奉行所になっていたり。『水戸黄門』の撮影でいらしていた里見浩太朗さんにも可愛がっていただきました。撮影現場が身近な環境の中で、自然に「私も役者として出演したい」という思いが芽生えていきました。
宮﨑:そこから、音楽学科に進まれたのはどのような経緯だったのでしょうか?
こばやし:もともと小学5年生から5年間、京都市少年合唱団で歌に親しんでいたことと、「役者への夢に近づきたい」との思いから、大学で声楽を専攻したいと考えていたんです。
そして、両親から言われていた「自宅から通う」「浪人・留年はしない」「必ず就職する」の条件を満たすうえで、声楽を学びながら就職先の選択肢を広げられる点に惹かれ、同志社女子大学への進学を決めました。もう入学式の翌日には就職課(当時)にうかがって、「将来の夢は役者ですが、親との約束で必ず就職しなければなりません。役者の活動にもつながると思うので、アナウンサーとして放送局に就職したいのですが、どうしたらいいですか。」と相談していましたね。
宮﨑:すごい行動力!それだけ思いが強かったんですね。
こばやし:そうなんです。それで、当時スタートした単位互換制度を存分に活用して、同志社大学のマスコミ関連の科目を積極的に学びました。音楽に加えて異なる分野にも学びを広げられることが、私にはとても大きな魅力でしたね。
宮﨑:同志社大学は同一法人の大学ですし、より身近で学びやすい点がいいですよね。ほかにも、同志社女子大学に進学して良かったと感じられたことはありますか?
こばやし:やはり人とのつながりですね。就職活動では同志社大学の先輩方にも支えていただきました。最近もカナダ・バンクーバーでの撮影中に、現地の同志社大学出身の方々に温かく迎えていただき、卒業後も続くご縁を実感しました。
着物好きは子どもの頃から。
大学へも着物で通っていました。

宮﨑:着物との縁はどんなきっかけからなのでしょうか?
こばやし:着物好きを自覚したのは小学生の頃ですね。父と二人の姉は体育会系でしたが、母は生け花雑誌の編集に携わっていたような文化系の人で、「一人くらい文化系の娘がほしい」と思ったようです。小さい頃から文化的なことに触れさせてくれて、着物も母方が三世代三姉妹でたくさん所有していたこともあり、よく着せてくれました。ただ、母の都合もあり、好きなときに着られるわけではなかったので、少しずつ自分で着付けを覚えていきました。本格的に着るようになったのは大学に入学してからですね。
宮﨑:どんな機会に着ておられたんですか?
こばやし:私、大学へも着物で通っていたんですよ。声楽コースではイタリアをはじめさまざまな国の歌曲を学ぶのですが、恩師の今城淳行先生が「君は日本歌曲が似合うね」とおっしゃられて。着物が好きだとお話しすると、「授業のときに着物で歌ってもいいよ」と言ってくださり、それなら普段から着物で練習しようと毎日着るようになりました。学生時代はおしゃれしたいけど、洋服だと流行や価格に左右されますよね。でも着物ならどんなものでも「素敵ね」と言ってもらえる。私は顔立ちが日本的なので、自分らしさを引き出してくれる点にも魅力を感じていました。
宮﨑:素敵ですね。私も大学のきもの着付けクラブで活動しているのですが、着物を着ると背筋が伸び、しぐさも優雅になる気がします。でも、毎日着るとなると枚数も必要ですよね。
こばやし:三世代分の着物に加えて、リサイクル着物で気軽に枚数を増やせたことも大きかったですね。北野天満宮の天神市でも素敵なアンティークのものに出合えて、着物のおしゃれが広がりました。
宮﨑:今も着物で生活しておられるのですか?
こばやし:ええ、毎日着ていると便利さや価値を実感する場面が多いんですよ。手頃なものでもきちんとした装いとして受け取っていただけて、ホテルやレストランで歓迎されます。海外でもとても喜ばれますし、「現代でも日常に着ることができる民族衣装が残っていて素晴らしい」と言われることが多く、日本文化の豊かさを実感します。
宮﨑:私も海外旅行でよく民族衣装を着るのですが、礼装として残っている国がほとんどな気がします。
こばやし:そうでしょ?それに着物っていくつになっても、体型が変わっても素敵に着こなせるんですよ。今、皆さんがクラブ活動で着物に親しまれていることもうれしく感じます。
宮﨑:私も着物を着る機会をもっと増やしたくなりました。そして、いつか着物で海外旅行に行きたいと思います!
こばやし:ぜひ着てください。海外にもおすすめですよ。昼夜帯ならリバーシブルだから、荷物もよりコンパクトになりますしね。
着物へのハードルを下げたい。
その思いから始まった
着付け動画「きものん」。

宮﨑:こばやしさんが発信されている「きものん」は、今も世界で最も視聴されている着付け動画の一つだそうですね。
こばやし:ええ、始めたのは2010年頃。「どうすれば着物をもっと着てもらえるか」と相談を受けたのが始まりでした。私は、着物があっても、着付けを人に頼る必要があるとハードルが上がってしまうため、「自分で着られること」が不可欠だと考えていました。それで思い出したのが、子どもの頃、母が着せてくれる前にビデオで確認しながら、よく「どこのことを説明しているのかわからない」と私自身が言っていたことです。そこで、一連の動きで説明する動画があればいいのではと考えました。さらに、気軽に活用してもらえるよう、当時普及し始めたYouTubeで無料公開したんです。
宮﨑:動画制作ではどんな工夫をされたのでしょうか?
こばやし:正面と横からノーカットで同時撮影し、画面上では二つの映像を映し出すようにしました。また、特別な道具を使わず、誰でも着られる方法を紹介しています。さらに、デニム着物にベルトを合わせたり、雨の日は厚めの底のビーチサンダルを履いたりと、気軽に楽しめる方法も紹介しました。「合わせる帯締めがないから」とか、「今日は雨だから」とあきらめてしまってはもったいないですからね。
宮﨑:反響はどのように感じておられますか?
こばやし:国内外で視聴され、「Are you kimonon?」と旅行先で声をかけられることも。最近ではカナダで行われた『SHOGUN 将軍』の撮影で、現地の着付け師の方から「着付けを始めたきっかけが『きものん』でした」と言っていただき、感激しました。着物をもっと気軽に楽しんでもらうために、今もさまざまな形で発信を続けています。
NHKのアナウンサー時代を経て、
時代劇で念願の役者デビューへ。

宮﨑:着物を通して培われた所作や表現が、現在の俳優の活動でも活かされているのですね。改めてデビューされるまでの道のりを教えていただけますか?
こばやし:卒業後はNHK京都放送局に入局しましたが、役者への夢は持ち続けていたので、すぐにドラマ部に行き、「どうしたら役者になれますか?」と聞きました(笑)。
宮﨑:またもや、行動力を発揮されたわけですね!
こばやし:そうそう、ドラマ部の方も驚かれていましたが、「朝ドラのヒロインの演技特訓をされている塩屋俊先生が大阪で演技の学校を開校されるから、オーディションを受けてみたら」とアドバイスまでいただいて。無事合格して特別クラスのメンバーに選んでいただき、演技の勉強に励むことができました。
宮﨑:NHKでのお仕事と両立されていたわけですね。
こばやし:そうなんです。ただ、その学校は別の放送局グループの運営で、NHKの人間が通ってよいものか心配になったんですね。そこで、当時の京都放送局の局長に相談に行ったところ、この方が数々の名作ドラマを手がけた元プロデューサーで、快く背中を押してくださって。とても心強かったですね。
その後、NHKを退局して上京し、幼い頃の里見浩太朗さんとのご縁がきっかけで、テレビ時代劇『水戸黄門』で念願の役者デビューを果たしました。さらに、明治座制作の舞台『大奥』への出演にもつながり、私の役者人生がいよいよ始まったのです。
宮﨑:ご縁がつながっていったのですね。時代劇での所作は着物での暮らしで身についていたのでしょうか?
こばやし:それだけでは足りませんから、現場で先輩方から多くを学ばせていただきました。それと同時に、子どもの頃から家で教えられていた立ち居振る舞いがベースにあったことも強みになったと感じています。
『SHOGUN 将軍』では、
役者としての出演に加え、所作指導も担当。


宮﨑さんに所作のポイントを伝えるこばやしさん。和やかな笑顔と相手に寄り添うまなざしが印象的で、学生との対話を心から楽しむ朗らかな人柄が伝わってきました。
宮﨑:『SHOGUN 将軍』ではヒロインの侍女・勢津役を演じられただけでなく、女性キャストの所作指導も担当されたんですよね。
こばやし:はい、この作品は主演の真田広之さんがプロデューサーの一人として参加され、ハリウッド風ではなく、「本物の日本」を描くことに徹底的にこだわり制作されました。ですから、所作も作品の完成度を高める重要な要素だったんです。その指導を任せていただいたことを本当に光栄に感じています。
宮﨑:撮影はカナダで行われたんですよね。
こばやし:そうなんです。当初は日本の予定でしたが、コロナ禍によりバンクーバーに巨大なセットを建設して、約11カ月にわたり撮影しました。所作指導は主要女性キャストに加え、 “バックグラウンド”と呼ばれる女性エキストラの方々にも行いました。
宮﨑:特に大切にされたことはありますか?
こばやし:バックグラウンドの方たちは文字通り、背景を形づくる重要な存在です。だからこそ、戦国時代の立ち居振る舞いを正しく身につけていただかなければなりません。所作は単なるポーズではなく、すべてに理由があります。形だけを整えるのではなく、背景にある精神性を理解してもらえるよう心がけました。例えば、重心を低く保つ摺り足は攻撃や防御に備える武道の基本の動きであり、さらに当時の女性は下着をつけていなかったこともあり、両膝をつけて内股でかかとを滑らせるようにして歩きます。目線も主人を直視するのは失礼にあたりますが、要求や危険には即座に対応できるよう視界に入る範囲で伏せ気味にする。また、刀は左利きの人も右手で持っていたため、控えるときは左手を右手の上に重ねるといった具合です。
宮﨑:意味を理解して動くことで、その場に流れる空気が変わるわけですね。
こばやし:そう、「目は口ほどに、手は口以上にものをいう」ですね。また、勢津役としてヒロイン鞠子役のアンナ・サワイさんのそばで演じながら、所作の細部まで共有できたことも貴重な経験となりました。
自分の努力は千分の一くらい。
あとは感謝しかありません。

宮﨑:多様な分野で精力的に活動されていて尊敬します。何が原動力になっているのでしょうか?
こばやし:私は好奇心のかたまりで、好きなことにはとことん向き合うタイプなんです。学生時代も先生がその個性を受け止めてくださったおかげで、好きなことにのびのびと取り組めました。
宮﨑:私はまだ将来の目標がはっきりと決まっていなくて…。
こばやし:焦らなくて大丈夫。興味を持ったことにまず挑戦して、「自分に合う」と思えたら続けてみる。そのとき得られる充実感が目標につながっていきます。私が唯一持っていた才能は、“諦めないしつこさ”でした。特別な才能は無くても、この気持ちがハリウッド作品までつながりました。いつか諦められない夢が出来たなら、ぜひ挑戦し続けてください。そして「やりたいです!」と手を挙げ続けてほしいです。
宮﨑:周りの人に表明することも大切なんですね。
こばやし:そうなんです。NHKへの就職が決まったとき、OB訪問を通じて出会った放送局の方がおっしゃられた、「君が暗闇の中でいつか星が降ってくると信じて、ずっと手を挙げ続けてきたから、夢が叶ったんだよ」の言葉が今も心に残っています。
また、NHKでの経験は決して遠回りではなく、地方局で企画、取材、原稿作成から撮影や編集といった制作側の経験をできたことが、今の活動に大きく生きています。最近では、声楽を学んだ経歴がミュージカル出演にもつながりました。
デビュー間もない頃、松竹座『大奥』の楽屋に恩師の今城先生が訪ねてくださり、「この子は誤解されやすいけれど本当は優しい子なんですよ」と共演者に紹介してくださって胸が熱くなりました。ふり返ると、私一人の力で歩んできたのではなく、周囲の方々の支えがあったからこそと感じます。自分の努力は千分の一くらい。あとは感謝しかありません。
皆さんも挑戦を応援してくれる同志社女子大学の風土の中で、ぜひ可能性を大きく広げていってください。
